突然ですが、皆さんにとって「相手を信じる」とはなんですか?
ごめんなさい、少し哲学的な質問でしたね。
こういう答えがない問題を永遠考えたり、人と議論し合うのすごく好きなんです。
そもそも信じるとは何なのでしょう
「この人は僕を裏切らない」「あの人は私を傷つけない」
おそらく多くの人の「信じる」とはこういうものだと思います
僕も以前はそうでした。
でも今はその信じ方はとても曖昧で偶像的だと感じるようになりました
その信じ方は自分の理想を相手に強制しているではないかと感じるようになったのです
きっかけはおそらく父親だと思います。
僕は両親は中学に進学の時には離婚しており、そこから父はどこかに行ってしまいました
当時は母子家庭の劣等感や、幸せな父との思い出と捨てられたというジレンマで思春期は悩んだ記憶があります
「父親としても義務を放棄するのか」 「父親いればこんなことには」
そんな風に考えていたと思います。
しかし、歳を重ねていくにつれ考え方が変わってきたのです
「これは理想の父親という偶像の強制なのでは」と。
そう考えるようになると、他の人間関係も改めて考えるようになりました
家族・友人・恋人
僕はこういった関係の人たちに自身の理想を当てはめ、そこから逸脱する度に
「傷つけられた」 「裏切られた」
と感じてきたのではないかと。
他者が思う理想の自分など分かるはずもないのに
自分が自分らしく生きているのに
「そんな人だと思わなかった」
なんて言われてもこれが自分だし、、と感じると思います
そう考えるようになってから
僕にとって「相手を信じる」の定義は
「この人に将来傷つけられても、裏切られても納得できる人」
としています。
そう思える人を信じたいのです。
皆さんにとって「信じる」とは何でしょう。